ラムフォリンクスの末裔




 2002年の晩夏のこと、私のもとに一通のエアメールが届いた。
 流麗な書体で書かれた差出人の名前には アナスタシア・ヒロポンスキー。
 先年、アンカラで客死したとされるヒロポンスキー博士の孫娘を名乗る女性である。

 彼女のオファーは彼女自身が計画する探索行への同行であった。
 大西洋の孤島に残された英国貴族の遺産にまつわるこの探索は、当初予想されたものとは全く異なる結末を迎えたのだが、ここではその探索行に於ける経緯と、私が実際にその存在を確認し採集した世にも奇妙な生物群についてを紹介したいと思う。

 そう、全てはあの手紙が始まりだった、そして今、彼女の面影を残して・・・。

西暦2003年9月某日  江本 創


     1.古書
 
 現在、私の手元には一冊の風変わりな古書が残されている。
 紫の装丁に恐らくは金箔で書名が押されていたのであろう。今ではその金箔が全て落剥し、薄っすらとその痕跡だけが残されている。さらに王笏を手にした男性(ソロモン王であろう)が光輪を背景にして描かれている。
 かつては鮮やかであったであろうその偉大なる魔術王の肖像は、すでに色彩という色彩を全て失って、あたかも幽界の亡霊の如き様相である。

 さて、綴じを崩さぬように本を開くと、そこには象徴的かつ不可解な図形群と本文が続く。年を経て蜻蛉の羽根のように薄くなったヴェラム紙に非常に精緻な飾り文字と力強い肉太の筆跡で綴られているのは極度に難解、あるいはそもそもが妄言に等しい錬金術に関する驚天動地の大論文である。
 中でも私の目を引いたのは、第13章、貴金属たる黄金に対する卑金属の象徴たるドラゴンが行う変移と昇華、さらには転成すべき銅、錫、黄銅と云った金属が対応するという奇怪な爬虫生物に関する記述であった。
 また、その他にも第72章に於いて「女性を美しくする法」と題された一項があり、そこには女性の髪を美しい金髪に変える方法やら肌のきめを美しく揃える為の各種処方、あるいは皺を除去する方法から処女を取り戻す為の秘法まで、懇切丁寧にいろいろと解説しているなど、まさに天文地理森羅万象から些細な生活の知恵に至るまで膨大かつほぼ出任せに等しい戯言が延々と羅列されているのである。

 筆者である自称「自然科学者」オンデマル・デッラメッタは自らの著書を後世の人類が賞賛すべき世界の至宝であると断言して憚らないが、私自身は幾度読破しようと試みても、その度にまるで悪性の熱病にでも浮かされたようになり、やがては分かり切った単語の意味でさえも理解不能になってしまうと云った症状に毎回悩まされている。如何にして
狂い切った頭脳がこのように荒唐無稽と云うにも愚かしい天真爛漫かつ出鱈目至極な内容を創作し得たのかについては、いずれ世の専門家と呼ばれる方たちの御意見を仰ぐ機会もあるに違いない。
 しかし、アナスタシアが唯一残したこの本から得られる知識の大半は、ほぼ何の役にも立たない与太話に過ぎないと断言しても間違い無かろうと私自身は考えている。



オンデマル・デッラメッタによる錬金術の書



     2.英国貴族

 デッラメッタがその気痴外じみた著書を献上した人物は17世紀初頭、ジェームズ1世に仕えていた高位の貴族であるとされる。当時に於いては「いわゆる進歩的」な人物であったらしく、宮廷ではその斬新かつ奇矯な言動と「発明」と称する様々な遊興によって知られていた。
 錬金術、否、自然科学とは、この人物の多分に貴族的な趣味の一環であったのだろう。
 時あたかもルネッサンスにより科学精神が大いに昂揚させられた後に続く時代である。
 当時、英国は宗教的にも政治的にも激動の時代であったとされるが、そうした中にもこうした奇妙奇天烈な人物が存在し、また存在するだけでなく大いにその自由闊達な精神の下、愚にもつかない自然科学とやらに熱中することが出来た点、英国と云う伝統ある国家の持つ幽玄な奥妙さを感じとることが出来なくも無い。
 勿論、現在ではこのような魔法と科学のキメラ的な畸形合成とも云える魔術的自然観はとうの昔に淘汰駆逐され完全に消滅しており、当然の如くこの人物およびデッラメッタの事績も無意味で虚言妄想的なものであるとして世の人々から悉皆無視されるに至った訳である。

 この人物の血筋はスチュアート朝の専制が終わりを告げ、17世紀イギリスで起こった2つの革命を経て次第に没落したと言われるが、その財産は分割して相続され、現在でも後継を名乗る人物(あるいは人物達)によって管理されている。
 こうした領地のうち、時を経て現在、大西洋の片隅に個人所有となった小さな島が存在する。ここがアナスタシアの目的地であった。

 彼女が地図上に示した小さなシミのような島が、今回の探索の舞台となった「アヴァロン」と呼ばれる孤島である。



オンデマル・デッラメッタ

探索地「アヴァロン」



     3.孤島

 英国本土からさして遠くないこの島には、しかしチャーター便以外に交通手段が無い。
 周囲の海底が異常な隆起を示しており、海流の複雑さから小型の船舶以外は近づくことさえ困難であるとされる。
 近代になっても航海の難所として避けられる海域である為か、そこは言わば絶海の孤島も同然の状態で放置されているのである。
 彼女の操縦する小型機から見下ろす孤島はまるで小さな箱庭の如くであり、豊かな森と湖沼に覆われ、まさに遠い過去から切り抜かれた古き良きヨーロッパのそれであった。

 到着した我々が目にした島の自然は、山深きウェールズ、あるいはスコットランドの古き森を思わせるものであった。この島に残されていた遺産は、まさにこうした自然そのものであった。
 数世紀の間に独自の変化を遂げたものも含め、既に絶滅、あるいは単に伝説上の存在と
見なされていた生物が、森に、湖沼に、洞窟に、その美しくも醜怪な姿を我々が生きるこ
の時代に残していたのである。
 かつて私がアナスタシアの祖父、アレクサンドル・ヒロポンスキー博士と世界中を遍歴し、採集した幻獣と名付けた未確認生物達の恐らく原種であろう、より純粋で貴重な生物達の存在に私は深い感動を覚えると同時に、何故このような奇妙な生態系がひとつの島の中に展開され得たものかと云う疑問に苛まれた。

 アナスタシアの仮説によれば、かつてヨーロッパ各地に存在した多種多様な幻獣達の多くは、人間とその開発により生存を脅かされ、次第に減少あるいは絶滅していったが、恐らくはそうした致命的な変化が訪れるずっと以前に、何らかの理由からこのアヴァロンに、それも全くもって意図的、人為的に収集された結果であろうと確信を持って言うのである。そしてその根拠として彼女が私に提出したのが、前述の奇妙奇天烈な古書であるのだが・・・。
 ともあれ、およそ半年に亘る探索の結果、収集された生物、この島独自の爬虫両棲類は約20種にも及び、それらの生物標本は現在、私の手元に保存されている。


 西暦2003年9月現在、探索中に失踪したアナスタシアの消息は未だ不明である。


 
アナスタシア・ヒロポンスキー嬢



     4.仮説

 さて、この章ではアナスタシアの立てた仮説について考察してみようと思う。
 これはアヴァロン探索時に彼女が時に曖昧に呟くように、時に発見に対し興奮を隠しきれずに思わず口走った様々な言葉を私の記憶を頼りにまとめ上げたものであるので、厳密な意味では彼女の説とは言えないものではあるのだが・・・。

 アナスタシアの説によれば、各種の爬虫生物がアヴァロンに持ち込まれたのは、恐らく17世紀以降のことである。これは彼女が件の某英国貴族あるいはデッラメッタをアヴァロン島への生物移動計画の発案者と考えていることによる。
 そもそもこの様なドラゴンの島は何故必要とされたのだろうか?
 
 デッラメッタの奇書にある「黄金生成の理論と実践」なる一項に於いて彼が示す可能性は、彼が現実の爬虫生物を観念上あるいは空想上のドラゴンの存在及びその象徴的な意味に結びつけ、なおかつ卑金属を黄金に変換する目的で行われるヘルメス・トリスメギストス [Hermes Trismegistos] の技法、すなわち彼の主張する共感魔法の一種にあたる自然魔術、あるいは俗に言われるところの白魔術の展開に不可欠な理論上の根拠を、実際の爬虫生物の生態観察(実に科学的手法である!)から導き出そうと試みたらしき点である。
 単純に言えば、もともと存在し得ない架空論理の根拠を、後から強引に自然界に実在する生物の生態からこじつけようとした訳だ。魔法に科学を接ぎ木する様な試みであり、言葉を覚えたばかりの幼児が弄ぶ不可思議な論理にも似た著しい混乱がある。
 しかし、一方ではその根底に「万物はただ一つの元素から構成されており、全てはたった一種類の自然現象によって関連している」という彼のエメラルド・タブレットに記されたヘルメス文書の世界観があり、こうした秘儀に属する知識を持つことが可能であったデッラメッタという人物が当時としては最高ランクの知識人であった証左とも言える。
 デッラメッタのこうした行為には、当時流行のいわゆる科学的態度を錬金術という魔術体系に持ち込むことにより、その理論的な根拠を強化する目的があったと思われ、こうした傾向は前述の奇書の全ての章に散見することが出来る。
 すなわちアヴァロンはデッラメッタが自らの偉大な錬金術を科学として昇華させるべく試みた大掛かりな実験場であり、同時に恐らくは何らかの理由で強く資金調達の必要を感じた某英国貴族の意向により黄金生成技術の確立を目指した錬金術工場だったのである。

 数多の政治的失策と宗教的対立の中で、カトリック教徒に爆弾で吹き飛ばされかけたこともある不人気な君主ジェームズ1世の側近であった某英国貴族がデッラメッタの怪しげな錬金術に財産や地位まで賭けざるを得なかった理由は想像するべくもないが、とまれデッラメッタと彼のパトロンの偉大な目標は達成されることなく、アヴァロンの奇怪な自然のみが残されたことはまさに歴史の皮肉と言えるだろうか。

 以上がこれまでのアナスタシアの発言から私が導き出した彼女の唱える仮説の概要である。いずれにせよアナスタシアの仮説は、デッラメッタの荒唐無稽な妄想に起因するものであり、このことについてこれ以上言及することは彼女が失踪してしまった今となっては何ら意味の無いことであると言えよう。
 私としては今後、彼女が再度私の前に現れる事を望み、またこの件に関して議論を続けたいと考えていることを此処に述べるに止めるのみである。


コカトリス、ドラゴン等・・・錬金術に於いて象徴とされる様々な伝説上の生物



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