甲獣譚




     

「シカシ信ジラレヌトシテモ、ソレハ存在スルノダ・・・。」
多々良 蝶介 著「甲獣譚」より

ここに紹介する不思議な動物の正体については、現状では未だ多くの謎に包まれたままである。そして、このファイルで論じられる全ての事柄はそれが推論の域を脱しないものであることを、ここで先にお断りしておく。
 この謎の動物群を私はその外見上の特徴から「甲獣」と名付けようと考える。
 では、この甲獣を私が何所でどのように捕獲し、またその生態がどのようなものであるのかと云うこと、つまり私の探索の成果についてここに記そうと思う。


     生息地

 この甲獣の生息地は、小笠原諸島にひっそりと存在する「タタラ島」と呼ばれる小さな無人島である。この島は周辺の島に住む漁師も滅多に上陸しない、世で言う所の曰く付きの小島である。とは云え、何が曰くなのかは私の伺い知れぬ所なのだが・・・。



小笠原諸島に於けるタタラ島の位置関係


 では、このタタラ島についての私個人の印象について、この場を借りて記しておこうと思う。先にも記したがこの島はいわゆる無人島であり、その周辺海域もたいした漁場では無いようである。
 また、島全体はほぼ熱帯雨林と云ってよい気候であり、ジャングルのようにおおむね植物の支配下にある生態系と言える。さらに特筆すべき点として棲息する動物がこの甲獣以外、非常に小型の両生類と爬虫類、それと虫の類い、そして鳥類しか存在しないことが挙げられる。
 つまり、鳥類は別として中、大型の動物、特に哺乳類の存在が例えネズミの類いであっても確認出来ない、と云う点がこの島の非常に特殊な点であり、またその事がこの特殊な環境において独自に進化した謎に満ちた「甲獣」を育んだのではないかと私に推測させるのである。この事は彼のエクアドル領ガラパゴス諸島の如き「進化の実験場」を私に連想させるに充分な理由と言っても過言ではないのでは、と考える次第である。


     生態

 ここではまず、この甲獣それぞれの外見上の特徴から考察しようと思う。
 下記の図を参照して頂きたい。

図 1

図 2

甲獣の外見状の特徴


 図 1〜2に示したそれぞれのサンプルから、まず分かることはどれもその頭部から背面部にかけてが甲羅状のものに覆われていることである。
 このことは、上記の図に示された以外の他の甲獣にも例外なく見ることが出来る、この動物独自の特徴と言える(それ故「甲獣」と名付けたのだが)。
 尚、この甲羅状の物体は爬虫類に見られるウロコや一般的な亀の甲羅のようなものと云うよりはむしろスッポンの甲羅状な、つまり堅く角質化した甲板ではなくその部分の皮膚が特に分厚くなっている革質の甲羅と同様なものであると言える。
 では、なぜこの様な特殊な構造の動物がこのタタラ島に存在するのか、と云う疑問が浮上するのだが、このことは後記するので取りあえずここでは省略することにする。
 
 次にこの甲獣がタタラ島のどのような地域に棲息しているのかを考えてみようと思う。 とはいえ、このことは私の探索によってある程度は既に判明しているのだが、外見状の特徴からも判断可能であることからここに記す次第である。
 
 では、何故今回の探索による具体的かつ分かり易い成果をここに示さないのかと云うことだが、これにはひとつ理由がある。
 私の探索による私自身の証言は出来るのだが、確たる証拠物件が存在しないのである。
 つまり、現場を押さえた「写真」がないのである。私自身この甲獣の生きた状態を私は何度か直に目撃しているのだが、この動物は非常に臆病でかつ敏捷なので常に私にシャッターチャンスを与えてくれなかったのだった。
 結局、私の探索で得られた確たるものはこの甲獣の死骸(標本)と、その発見状態の写真のみであり、それらからこれらの動物の生態を推測するに止まっているのが現状なのであると言える。
 
 さて、話を戻そう。
 この甲獣の棲息域はおおむね二つに限定して良いと考えられる。
 このことは、それらの脚部から判断が可能である。
 一方は陸上、もう一方は樹上であると私は考える(無論、私の目撃からも断定出来るのだが)。
 次項に図で示すが、それぞれの甲獣の脚部は陸上、樹上に生活圏を求め、しかるべく進化した形状をしていることが一目瞭然で判明するのである。
 樹上型の甲獣の脚部は枝などを伝い移動する為、それが物を掴むことに長けた構造になっている。ツパイ等の原猿類の足に構造が酷似しているのは、そのためであるようだ。
 かたや、陸上型の甲獣は地面を走り、場合によっては穴を掘ったりすることに適した形状になっていると言える。反面、何かを掴むことは出来ないようである。
 
 現在確認出来ている甲獣は以上の2系統である。可能性としては他に水棲型の存在が考えられるが、これは今後の更なる探索の必要性を切に感じる次第である。


 

甲獣の脚部の比較
図 1 樹上型 前肢       図 2 陸上型 後肢


 次にこれらの甲獣の分類と食性について考えてみよう。
 私はまずこの甲獣類の分類について少々の暴論じみた点はあるものの、爬虫類と哺乳類の丁度中間の生き物、進化の過渡期状態のまま現在に生きるいわゆる「生きている化石」と言える動物と判断する。
 昨今の恐竜に関する専門書などで目にする三畳紀に発達した「哺乳類型爬虫類」の生き残りと考えるのである。
 このことにおける(あくまでも)外見上の判断材料として、先の棲息域同様、四肢の形状が挙げられる。
 哺乳類型爬虫類のなかでも獣弓類は四肢が体の下にのび、前肢の「ひじ」が後ろに、後肢の「ひざ」が前に向いており、このことがより滑らかな歩行を可能にしている(これは哺乳類にも受け継がれている)。
 それに対し爬虫類は四肢が体に対し横にのびる形をしており、歩行と云うよりはむしろ這って移動する。
 甲獣の四肢の形状は前者のそれであり、特に陸上型の甲獣ではその特徴が顕著に現れている。対して樹上型の甲獣はその棲息域に適応した四肢の形状をしており、陸上型のそれとの共通点はあまり見られない。
 また、耳の構造の差異も挙げることが出来る。
 爬虫類の耳は鼓膜が体表に露出するが、哺乳類では耳介に続く外耳道の中に鼓膜がある。また外耳の存在も哺乳類独自の物である。
 


 しかし、同時に甲獣には爬虫類的な側面も持っているのである。
 最も顕著な点は腰部から尾にかけての構造である。
 一般的な哺乳類は腰部と尾との境目がはっきりと分かれているのに対し爬虫類以下の脊椎動物はその繋がりが外見上、曖昧になっているのである。
 下図に示すので参照して頂きたい。




爬虫類と哺乳類の腰部の差異
図 1 爬虫類の腰部           図 2 哺乳類の腰部


 このことは特に樹上型の甲獣に顕著に現れている。
 これらのことを総合すると甲獣の分類は哺乳類型爬虫類の末裔、爬虫類と哺乳類の進化の過程におけるその中間に位置し、かつ現代に生き残る他に類を見ない希少な動物であると考えるのが妥当であると思う次第である。




想像し得る甲獣の系統図


 次に食性についての考察である。
 今回の探索で発見した甲獣は全てにおいて、その口内にまばらではあるが鋭い歯の存在が確認出来る。
 このことから甲獣類は歯の形状から、草食性ではなく肉食性であると考えられる。
 おそらくはその体格上、島に棲息する両棲類や爬虫類等を捕食対象とするのではなく、小型の昆虫類を捕らえていると思われる。
 
 では、この甲獣類の特殊な外見について、つまり頭部から背面部にかけての甲羅をこの動物がどのように獲得したのか、ということについて考えて見よう。

 一般的に生物は様々な要因でそれぞれ固有の進化をするものと考えられているが、環境に対する適応性もその要因のひとつとされている。
 私が推測するに甲獣類もこの絶海の孤島、タタラ島の環境により長きに渡って作り出されてきた動物と考える。
 先にも記したが、このタタラ島に棲息する生物は半ば亜熱帯地域に属し、そこに繁茂する様な植物群を筆頭に小型の両生類と爬虫類、虫の類、鳥類と云った哺乳類を除いた生態系をとっている。
これらの中で甲獣類に対し生存の脅威となりえるものは唯一、鳥類と考えることが妥当と言える。
 このタタラ島に於いては甲獣類より大型で、かつ獰猛な肉食性の動物は鳥類のみなのである。
 つまり、甲獣類にとって鳥類は「天敵」なのである。
 同時に絶海の孤島というタタラ島の環境が、鳥類以外の甲獣類にとっての脅威になりえる他の動物の進入を防いでいた事実も無視できない。
 これらの事柄から甲獣類が生存の危機にさらされるのは、唯一の脅威となる鳥類による上方からの襲撃のみであったものと考えられる。
 よって、長い年月を経て甲獣類はこの唯一絶対の脅威に対する対抗策として頭部から背面全体にあのような甲羅を装うという進化の道を辿ったと私は推測する次第である。
 これは、甲獣類の体の下部、特に腹部に全くその防御手段が無いことに関してもその説が有効な点につながると思える。
 不思議なことに甲獣類はアルマジロのようにその体を丸めて外的から身を守るような構造にはなっていないことも、その理由のひとつに挙げることが出来るのである。
 
 このことはあくまでも私個人の偏った推測の域を脱しないのだが、最も矛盾点の少ない理論であることも確かであると私は確信するものである。


     

 現状でこの甲獣について私に言えることは以上である。
 本文の最初にお断りをしたように、このファイルで述べられている多くの事柄は私の勝手な推測であり、事実であることの証明はなにひとつ出来無いのである。
 この点は今回の私の探索における一番の反省点と言える。
 しかし、それと同時に今回の探索はいまだ未知のヴェールに包まれてはいるものの、この謎の動物である「甲獣」の存在を皆様に紹介出来た点において意義のあったものと私は思う。
 今後の課題として私は再度このタタラ島へと赴き、甲獣類のより詳しい生態を観察し、また可能な限り多くの甲獣に関するデータを収集しなければなるまい。
 それがいつの日になるかは分からないが、さらに厳密な甲獣類の研究ファイルを制作し、皆様にお見せできる日が来ることを私自身非常に楽しみにする次第である。
 尚、今回の探索により撮影に成功した甲獣の発見状況の写真を巻末に掲載しておくので参照して頂きたい。

 最後になるが本文冒頭に引用した文章は、明治後期から大正中期まで我が国で様々な探索を行い多大なる成果を挙げつつも当時の学閥から完全に無視をされる憂き目に会い、現在ではその存在すら知られていない多々良蝶介氏による著書からのものである。
 今回の探索は氏の著書である「甲獣譚」よりインスピレーションを得て行われたものであることをここに記しておく。














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