悪 獣






     第一章

 「悪魔」という存在。
 かくも不思議なこの存在は、誰しもそれを実際に確認したことが無いにもかかわらずイメージとしては定着しております。
 三角形の先端の尾をもち漆黒の体色の邪悪な「存在」。
 
 丁度、一年程前、私はこの得体の知れないモノに遭遇したのでございます。
 場所は東京都内某界隈、我が国随一の繁華街の人で賑わう表通りから外れたうらぶれた路地を彷徨う様にウロついていた時でございます。隣接した古ぼけたビルとビルの隙間から唐突に「それ」は現れたのでした。
 「それ」は一瞬緊張したかのように動きを止め、私を確認するや退屈そうな表情(私はその様に感じたのでありました)で出てきた隙間の暗闇に戻っていったのです。
 私は、その刹那の唐突に遭遇した「何か」が果たして何であるのか思案を巡らせ、気が付けばあたかも目に見えない何者かに誘われるかの如くそれの探索を始めたのでありました。

 その「何か」の特徴は、全身が這い出てきた暗闇の一部の如き漆黒、ビクビクと動く尻尾の先端が綺麗な二等辺三角形であったこと。そしてその仕草は、かのガラパゴス諸島に生息する中型の爬虫類の持つ独特の大胆さと臆病さであり、かつ猫族の持つ美しいまでの優雅さを併せ持っていたのでありました。
 それは今も私の瞼の内にハッキリと焼き付いているのでございます。

 さて、ここに記すのは、その後のおよそ一年間に渡る私の奇妙奇天烈な探索の成果についてございます。
 とはいえ、この様な生物が何処にでも生息しており、多くの人々の目に触れる様な生態をしていれば、当然「謎の生物」には成り得ないことは何方にも分かり切っている事でありましょう。
 正直申しまして私自身、この生物の生きている様を確認したのは後にも先にも先程記したその時のみなのでございます。
 実は私の探索とは、この生物の生きていた証、つまり簡単に申しますと死骸を探し、見つけだす事に他ならないのでありました。


 とはいえこの生物、その死骸と言えどもおいそれとそこいら辺に有る物ではございません。最初にそれを発見した例の某界隈のビル等も私なりに可能な限り調べたのですが、死骸はおろか、その生物の生態を示す痕跡なども発見出来なかったのでございます。(無論、生物の生態そのものが判明していない以上、当然の結果といえましょう)
 結局、私はその死骸を探す為、方々に足を運ぶことになったのです。
 しかしながら、その後私は様々な、そして多種多様なこの生物の成れの果てを見つけ出す事に成功するのでした。それは正に摩訶不思議な力に導かれるが如き出来事だったのでございます。

最初の遭遇から三週間程過ぎたある日、やはり先の界隈にほど近いオフィス街を何気なく歩いていた時の事でした。目抜き通りから外れたうらぶれた路地に入り込んだ際(どうも私はこの手の路地裏を好む性癖があるようなのです)のことでございます。
 ふと見ると、以前にそれを目撃した時同様の古びた建物が目の前にあったのです。そして、そこの暗がりにまさにその生物の成れの果てがあったのです。

 このように、論理的には全く偶然としか考えられない様な発見が、その後の私の世にも奇妙な謎の生物の死骸狩りの第一歩となったのでした。
 それは、正に正体不明の何者かに導かれたと言ったが如き不思議な第一歩と言っても差し支えない事でしょう。

 その後、同様の発見が幾度か続いたのですが、そのうちにその生物の生息地における共通点が私には段々と見えてきたのでございます。
 それは、何れも古びた建物、強いて言えばいわゆる九〇年代初頭までのバブル期よりも以前、厳密には戦後(あるいは戦前)から我が国における高度成長期と呼ばれる頃の建築物に発見例が偏っている、と云うことです。
 さて、その様なある種の法則が私の頭の中に形作られてきた以上、やはりそれは確認する必要が発生します。無論、その経験上の仮説が私の探索の上で実証されれば、その後のおぞましき死骸狩りにおいてもかかる労力は格段に減少させる事が可能になる訳です。
 果たして、その法則は私の予想を遙かに超える形で恐ろしいまでに次々と的中するのでした。
 そしてその法則は、古くから脈々と存在する歴史ある繁華街から、時代に取り残されたが如き下町風情漂う地域に於いてまで、我が探索の手を広げさせ、同時に確実な数々の成果を上げさせるに至ったのでございます。
 
 では、次章ではこれらの奇妙奇天烈な我が探索に於ける具体的な成果について、皆様にお見せしようと思います。



     第二章
 
 さて、先の第一章で私の探索の大まかな概要を皆様にお見せした訳ですが、本章ではさらに具体的なこれらの「謎の生物」の実態についてを考えてゆきたいと思う次第でございます。

 まず、これらの生物について非常に大雑把ではありますが、それぞれの種類の分類をしておきたいと思います。
 大まかに分けて、この「謎の生物」は四種類に分類することが可能であると私は考えます。下記の図1から4に示しました様に、この生物をまず二足型、四足型、水棲型、有翼型、の四種類に分けてみました。




図1 二足型       図2 四足型       図3 水棲型




図4 有翼型


 御覧の如く、これらの生物は他の生物同様、外見上からその生息範囲、つまりそれぞれの生きる場所、いうなればテリトリーがおおむね判別可能な訳なのです。
 ただし、この生息域の判別についてはあくまでも私の推測なのです。また、この後、私が述べる様々な事柄についてもそれらが同様に推測の域を脱しないケースが大多数であることを、ここで告白しなければなりません。
 つまり、私の探察では存在の証明として、少なからずとも動かぬ証拠としてのこの生物の死骸は採集出来たのですが、実際に生きている件の生物の生態観察についてはどうしようも無く欠けているのでございます。
 この生物学としては決定的、かつ致命的なこの事例の欠如は私の探索そのものを否定する事になるのですが、むしろそれ故にこの事が、私の探索を考古学的な自然科学の方向へと導く事になると、そして又、それこそがこの探索に重大な意味をもたらせる事になると私は信じて疑わないのでございます。


 先の頁では何か言い訳じみた事を書いてしまいました。気を取り直して更なるこれらの生物の実態に迫って見ようと思います。
 順序が逆になって仕舞いましたが、この生物達のそれぞれの共通点について考えてみましょう。
 
 第一章でも記しましたが、これらの共通点は「三角形の先端の尻尾を持ち、漆黒の体色である」と、云うことでしたが、その他にも幾つかの奇妙な共通点があったのでございます。
 第一にその体長です。脊椎動物(これは外見上からも一目瞭然です)としては、どれも比較的小型の部類に入るということでございます。
 これは人目に触れず、ひっそりと生きてきたこの生物の必然的な大きさなのではないかと、私は推測するのです。
 第二に前足と後ろ足の形状が、どれもこれもほぼ同じ形をしていることです。
 これは、水棲型を除く他の三種類の生物においての奇妙な共通点(有翼型では後ろ足のみですが)と言えるでしょう。(下記の図5を参照)
 このことに関しては私には一切分かりません。自然の不思議な造形のひとつとしか言いようが無いようです。基本的にはこれらの足は物を握ることに長けた形状をしているようですが、明らかに地を這う様な骨格の生物も前後の足の形がこの形状であるのは、私にはいかんとも説明が出来ないのでございます。
 正に神の悪戯としか思えないのです。




二足型 前足     二足型 後ろ足     有翼型 後ろ足

図5 前足と後ろ足の比較


 第三にその歯の形状です。これらの生物の歯の形状は、哺乳類の多くに見られる「門歯、犬歯、臼歯」の様にそれぞれの用途による差という物が無いのでございます。(例外的に歯そのものが無い個体もごく少数ですが存在します)
 どの歯もほとんど同様の鋭く尖った形状をしており、強いて言えばジネズミ等の食虫類や一部の爬虫類のそれと非常に似ていると言えましょう。(下記の図6を参照)
 このことにより、この生物の捕食対象は昆虫類であると私は推測するのです。


   

図6 歯の形状の比較


 さて、この章ではこれらの生物の死骸から分析出来る様々な生態を、私の推測を交えながら色々と考察してきました。
 しかしながら、やはり実際に生の生態を直に観察しなければ、この「謎」の生物の真の実態はいつまでも解明されず、また私の考察も推測の域を脱しないのでございます。

 この問題の解明には私自身による、さらなる探索が必要なのでしょう。
 それ故、私の現在の探索は世にも奇妙な「死骸狩り」の段階から、より実践的な方面へと移り変わる時期にあるものと痛感するのでございます。
 そして、その次の新たな段階での調査の成果が挙がり次第、私はまず第一にその成果を皆様に確実にお知らせすると堅く決意する次第でございます。



     第三章

 本章では先の一、二章で述べました発見の経緯と生態から、この「謎の生物」の正体について考察を試みようと思います。

 まずは、その行動性です。
 最初の遭遇時と死骸の採集状況から推測するに、この生物は光を嫌う、あるいは夜行性ではないかと思われるのです。このことは遭遇時においてそれが暗がりから現れた後、また暗がりに戻っていったこと、そして死骸の採集ポイントがやはり日の光の当たらない様な場所に限られていたことからも、容易に想像が付くのでございます。
 また、その体色が例外なく黒色系に偏っていることも、その理由のひとつに挙げられるのです。そして、この生物が通常では我々の目に触れることがまず無い事もこの推測に結びついているのでございます。
 さらに前後の足の形状についてなのですが、おそらくあの様な形の足では物に掴まることは得意とはしても、地を駆けずり回ることに関してはとうてい向いているとは考えられません。
 故に第一章における発見地域と第二章で述べました食性等とを併せて考えるに、この生物は東京都内の比較的古い建物を好んで生息地にし(これは以前問題になったホルムアルデヒド等の毒性の強い建材を嫌う性質があるのかもしれません)小型の昆虫類を餌としているものと思われます。さらにその体の大きさと生息地から、これらの天敵が野良猫やカラス、大型化したドブネズミである可能性が高いと考えられるのでございます。
 
 では次に、分類です。
 見た目としましてはこの生物が明らかに脊椎動物であり、鳥類以外の両棲類、爬虫類、哺乳類のいずれかであるとするのが妥当な線と考えられます。
 そして、これらの発見地点の多くには水源らしきものは無く(例外もありますが)どちらかと云うと乾燥した場所がほとんどなので両棲類の棲息には不向きと言えます。
 このことから、両棲類の可能性は極めて低いものと考えられます。
 つぎに爬虫類の可能性について考えてみましょう。
 この生物には爬虫類の特徴の体表を覆うウロコが見られません。同時に爬虫類には存在しない外耳がこの生物のほぼ全種類に確認することが出来ます。
 これらから、爬虫類である可能性も除外すべきと考えるべきと私は考えます。
 残る哺乳類についてはどうでしょう。
 哺乳類の可能性に関しては、問題を外見上のみに限定した場合、この生物にはその特徴の体毛が無いこと以外はおおむねパスしているとみても良いと思われます。
 では、このことからこの生物を哺乳類としてしまっても良いのでしょうか?
 これはあくまでもこの生物の外見上からの私個人の現在での見解でしか無いのです。このことも第二章における私の推測の域を脱しないのが紛れもない事実に他ならないのでございます。
 この件に関しましても今後の私自身の更なる探索が必要であると言えるようです。


 結局、この生物に関することの多くは未だ不明な点ばかりであり、今回の私の様々な考察に於いても大部分が推測の域を脱しない非常に不完全なものに成ってしまいました。
 現段階では、ここまでが正直なところの私の限界であるのでございます。
 まさに砂を噛む思いです。

 さて、果たしてあの生物の正体は何なのでしょうか?
 私は以下のように思うのでございます。
 東京はかつて関東大震災と東京大空襲と云う未曾有の大災害に遭い、かつ、その都度まさに奇跡の様に復興を遂げてきた世界に冠たる大都市でございます。そしてこの生物達はこの奇跡の大都市に古くから棲み付いている、いわゆる「地霊」の如き存在なのでは・・
・と。
 無論、私のこの発言は非常に非科学的であることは重々承知の上でございます。
 しかしながら一年間と云うごく短い期間ではありますが、私はこの得体の知れない謎の生物の探索を行いながら、いつの間にかこの様な思いに捕らわれていたのです。
 実際の所、私の目的はこの生物の実態を調査することでは無く、探索そのものであったのかもしれない、と今となっては思う事もあるのでございます。
 
 最後になりましたが、私なりにこの「謎の生物」の呼称を考えたのでございます。
 私は当初、外見上の特徴から架空の存在である「悪魔」のイメージがどうしても強かったのですが、数々の探索からの生物としての存在をも同様に持ち合わせた方がより一層皆様の理解に繋がると考え、この様に命名した次第でございます。
 
 ・・・「悪獣」と・・・
   



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