七つの大罪 ― 悪徳の容貌





                  


 私の眼前に並んだこの21体の標本群は、一体何なのだろうか?
 過去にこのような不気味な生物が実際に存在したのか、或いは何者かの手による悪趣味極まりない悪戯とでも言うのか? 
 暗澹たる思いのまま薄気味悪い石造りの修道院跡から外に出ると、そこには果てしなく広がる荒涼たる景色が広がっているだけだった。
2006年2月某日

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 そもそもの始まりは2005年夏、手元に届いた一通のエアメールから始まった。
 差出人には「A.H.」の署名。
 大方見当は付く、あの謎多きロシアの科学者親子・・・アレクサンドル・ヒロポンスキー博士か、孫娘のアナスタシア・ヒロポンスキー嬢かのどちらかであるはずだろう。
 博士はトルコで死亡、彼女はイギリス沖にて失踪、と、公式には言われているが、実際の所、どちらも怪しい限りである。
 ワープロを使って綴られた、外国人の書いたものとは思えないほどキチンと記された日本語の文面から判断するに、その内容は以下のようなものである。

 「国境に近いスペイン国内のとある修道院(跡?)に君の探し求めるものがあるはずだ。これは今までの君の探索の中でも最も価値あるものになるであろうことが容易に想像される為、是が非にも君自身のその目で確認して欲しい。詳細な場所は後述するが、云々・・・」

 私はこの与太話に付き合うべきか幾日か考えた上で、結局、今回も未知の探索の途に就くことを決心したのであった。
 そう、あれは今から半年前、2005年の晩夏の事であった・・・。



                  彼地


 それから数日後、私は彼地、スペインはマドリッドに立っていた。
 スペイン独特の焼け付くような日差しにジリジリと照らされつつも、ここから国境沿い、ピレネー山脈の麓にあるとされる問題の場所を目指すことになる。

 詳細な場所は分かっているものの、今回もいつもの如く不必要に足跡を残す訳にはいかない秘密の探索である為、あくまでも観光目当てのバックパッカーを装い少々遠回りながらバスク地方側から電車を利用し目的地に近づいて行く。
 今となっては、さながら「世界の車窓から」の如きノンビリした旅(コンパートメントに同乗した現地の家族に、折り鶴を折ってやったりして喜ばれたものだった。どうもヨーロッパでは所謂折り紙の習慣があまりないようで、このようなパフォーマンスは時に非常にウケが良いのである。)であったが、次第に高まる発見に胸の高まりが抑えられなかったことも事実だったと言えよう。

 ローカル線を乗り継ぎ、電車で可能な限り目的地に近づいた後、とある街で私は四駆車輛を借り、食料他、探索に必要な装備を買い足し、ピレネー山脈奥地に向かい車を走らせた。
 問題の修道院はかなり人里離れた場所に在り、途中からはかなりの悪路を迷いながら長時間運転しなければならなかったことをここに記しておこう。

 車で街を発って数日後、時に道無き道を強攻するが如き険しい山岳地帯をひたすら走破し、ようやく私は目的の修道院に到着した。

 人間が恐らく時間にして100年単位で足を踏み入れていない様な荒涼とした所に、その修道院は在った。
 いや、むしろそれは修道院「跡」と言った風情の廃墟にしか見えない程、自然環境に浸蝕された気味悪い印象の古びた石造りの建物であり、それがこの時期のスペイン特有の燃えるような落日に照らされながらそこにそびえ立っていたのだった。

 私はその場で嫌が上にも逸る気持ちを抑え、その日は持参した装備を下ろし滞在(キャンプ)の準備をした。
 点けた焚き火の元で、何はさておき取って置きのスペイン産ワインとイベリコ豚のハムで独り、前祝いの杯を上げたものだった。
 以前の探索では、ヒロポンスキー博士と事あるごとにウォッカで祝杯を上げ、アナスタシア嬢とはしばしばスコッチウィスキーで乾杯したものだった事を思い出し、暫しかつての仲間と供に過ごした探索の記憶が蘇った。
 そしてそれはワインの心地よい酔いと共に懐かしく私を包んだのだった。

 ・・・この時は、この後に起こる常識では計り知れない奇妙奇天烈な発見の事など想像すら出来ずに・・・



アレクサンドル・ヒロポンスキー博士
 アナスタシア・ヒロポンスキー嬢

アレクサンドル・ヒロポンスキー博士
 
アナスタシア・ヒロポンスキー嬢


                  廃墟


 興奮醒めやらぬ一夜を過ごした後、夜明けを数刻過ぎた頃に、私は件の建物の周囲から調べ始めた。

 直ぐに分かったことだが、結論としてここは現地人の居住地域から相当離れた立地であり、そのことがこの廃墟の荒れ放題ぶりに繋がっている。
 また、その事からこの廃墟が既に現地の人々の記憶から完全に忘れ去られて、優に数世代も経っていることも容易に想像出来た。
 とは言え、破損が甚だしいものの建物の構造と装飾等からすれば、ここが当時は規模こそ小さくはあるが歴とした由緒在る宗教的建造物だったことが見てとれた。
 石造りの二階建て、そして小型の方形の塔を備えた修道院跡。
 外から観察した限りでは、その様な廃墟だった。

 正面入り口にあたる大扉は既に完全に朽ち果てており、建物そのものがあたかも歯の抜け落ちた大口を開いたままその身を横たえた太古の怪獣の様な印象をこちらに与えていた。
 そして更に建物の外壁にびっしりと這い回る蔓性の植物が、不気味な印象を増長させる。
 正に遙か古代にこの地に君臨していた得体の知れない巨大な怪物が長い年月の経過の中で何時しか化石化してしまった成れの果てであるかの様に私には感じられたのだった。

 私は単身、その開いた口から怪物の体内に入って行く。
 内部には濃密な瘴気と暗闇が充満し、戦慄と無音が恰も外部からの侵入者に対してその密度で圧倒し、奥部への更なる侵攻を防いでいるかの如きであった。
 そう、外から見たときにはさほど気にならなかったのだが、この建物の窓と云う窓が全て内側から煉瓦と漆喰で塞がれており、それ故、内部には暗黒が蔓延っていたのだった。
 その時、私はそれが何を意味しているのかは、特に深く考えもしなかったのだった・・・。



                  深層


 さて、ここで今回の探索についての核心を記す。
 朽ち果てた修道院跡には地下室があり、私はそこに入って行った。
 その地下に在ったものは、この世の常識を超えるような発見であった。

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 その修道院跡の地下は想像したよりも広く、上階層よりも更に深い瘴気と漆黒、そして饐えた臭いに溢れていた。
 探索装備のヘルメットに附けられたライトによって切り裂かれた闇の中に、私は奇妙な物体を確認したのだった。
 そこには書庫にあるような仰々しい棚、見たことも無いような不気味な形状の祭壇、そこで行われた事を記録する為であろう小さな机がそれぞれ室内の端にそれぞれ備え付けられており、部屋の中心には何かの儀式を行う為であろうことが容易に想像出来る大きな窪みが作られていた。

 先ず、私の興味をそそったものは、不気味な祭壇であった。
 カトリック様式を故意に歪め、ユダヤ教やイスラム様式、果てはインドのヒンディーや古代仏教での造形的特徴までも取り入れた出鱈目なコラージュの様でもあり、かつ妙な統一的宗教観に貫かれた様にも見える物体であった。
 それは古代から伝わる幻獣キマイラの如き魔法的合成生物の様な祭壇なのであった。
 そして書庫らしき棚。
 一見すると大型の蔵書が無造作に並べられている様に見えたそれらは、本の形状に近い形の箱であり、その中には常識では計れない不可思議極まりない不気味な生物のミイラが個々に納められていた。
 それら未知の物体の正体は、室内の端に設置された小さな机の上に無造作に置かれ分厚い埃に覆われた一冊の帳面に驚愕の事実として記されていたのだった。
 厚手のヴェラム紙に不安定なラテン語による肉筆で綴られていたその戦慄の内容を要約すると、以下の通りである。

 時、折しも16世紀末。
 この古くからヴェネディクト派に属する修道院は、大衆の信仰心の著しい減退によって、存続の危険にさらされていた。
 同院に所属する敬虔なカトリックであるセバスチャン、ホセ、ミゲルなる3人の修道士は、神による奇跡を真に実践することによって人々の信仰心を改めて回復させ、神による正しい世界の秩序をもたらす正しき道に導くものと真剣に考えていた。
 大衆の不信心は徐々に彼らを追いつめていった。
 やがて彼らは神による正しき秩序と、それの実践を民に明らかに示す方法とは果たして如何なる事か、と言うことをひたすら突き詰めて行った。
 そして、古代から秘密裏に伝わる禁断の外法「7つの大罪」を体内から吐き出し、楽園追放以前の原罪無き無垢なる人間、つまり「蛇」たるサタンに誘惑され知恵の実を得る前のアダムに戻る術を自ら行い、無知蒙昧なる大衆を啓蒙することに結論付けたのだった。
 彼らは当に「敬虔なる宗教者」であり、それ故、大衆の所謂「神離れ」は進退窮まる状況であった。
 そして彼らは禁断の外法に手を染める事になる。
 それは「毒によって毒を制す」の精神であり、同時に「毒を喰らわば皿まで」と言った覚悟の上での決断だったのである。
 彼らは先ず、毒たる悪徳(悪行)に手を染める。
 当時存在した近隣の村々の住人に対して、「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「貪欲」「暴食」「色欲」からなる7つの悪徳を、時に人々の間で、時に自らの手によって行ったようである。
 これらの所行は、見る間に村々に恰も悪性の伝染病の如く広がって行き、タガが外れた様に短期間のうちに近隣住民は理性と社会性を失い退廃、奪い合い犯し合い殺し合いながら自滅していったそうだ。
 それは修道院を中心として近隣の村々で連日連夜狂乱のサバトが行われ、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられたことを意味してる。
 これらの混乱がヴァチカン当局や、当時のイスパニア王国によって鎮圧されなかった事は、ただ単にこの地が恐ろしく辺境に属する地図の上での空白地帯だったからに他ならないと考えることが妥当であろうと思われる。
 いよいよこの集団ヒステリー状況が終息に向かう頃、その混乱の当事者たる修道士達は修道院内に閉じこもることになる。
 数え切れない悪事を時に自ら行い、時に疫病の如く周囲に伝染させた彼らは、思う存分狂気と悪事を自身の体内にタップリと含ませ、既に飽和状態になっていた。

 彼ら修道士達は明らかに狂気に取り憑かれていたものの、完全に発狂していた訳ではなかったようだ。
 何故ならここまでの騒乱を自ら起こしておきながら、その後に控えている彼らの真の目的を澱むことなく遂行していったからである。
 そしてアダムに戻る為の恐るべき儀式は始まったのだった。

 3人は瞑想とそれに関わる特殊な呼吸法、特殊な薬物の直接的、沐浴他を用いた間接的な摂取、断食等の修行を始めたのであった。
 現代的に言えば瞑想、断食と特別な呼吸法を主にしたヨガ的な身体的修練と致死量に近いドラッグの大量摂取とを禁断の書に書かれた特定の方法論に基づいて行ったのであった。
 それは身に取り込んだ悪徳を純化した形で精錬、抽出する作業、錬金術ならぬ外法を用いた「錬悪術」だったと言えよう。

 時間にしてほぼ半月後、彼らはその修練が極限に達した状態で、半死半生の身を激しく震わせながら幾たびも嘔吐した。
 血液と胃液と羊膜状の得体の知れない物質にまみれ吐き出されたそれらは、母胎から生み出された赤子の様にこの世のものとは思えないような不気味な鳴き声をそれぞれ上げながら、ジワジワとその悪夢の産物の如き体躯を立ち上げたのだった。
 それぞれに産み出された物体は七つ。
 勿論、人間では無い、それこそ何か得体の知れない、しかし様々な生物の特性をその身に備えた不格好なキマイラの如き生き物たちであった。
 さらに特筆すべきは、それらがそれぞれ違った形体でありながら「傲慢」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「貪欲」「暴食」「色欲」と言った所謂「7つの悪徳」に準ずる特性を象徴する容貌を持っていたのであった。

 儀式を行った3人はこれらの物体を産み出した直後、恰も白痴の様な状態に陥り、数日後そのまま衰弱死した。
 彼らの表情は死を迎えるその時、いや、死してなお法悦にひたるかの如き穏やかなものであったそうだ。
 


                  

 
 嗚呼、この帳面に書かれたことが果たして真実なのであろうか?
 この話を単純に信じるとするならば、書庫に見えた棚に並べられていた標本箱に納められているこの世のものとは考えられない形状の様々な生物のミイラは、かつての修道士達が秘密の儀式を経て、その体内からひり出した物体であると言えよう。
 だが、そのようなことが現実に可能なのであろうか?
 体内に概念である悪徳を蓄積させ、まるで胆石や腎臓結石の如く物質として定着させて体外に放出するなど、当に荒唐無稽で非科学的非現実的な現象であり、常識では考えられないことである。

 しかし、この21体のミイラ状になった生物は、現に私の眼前に存在している。
 1つの可能性としては、これらのミイラは全て何者かの手による「作り物」であることが考えられる。
 とは言え、わざわざこのような手の込んだ不気味かつ無意味な悪戯を、誰が何の為に行うのであろう?
 そして、祭壇裏側の葛籠の内部に隠されていた身長1メートル弱の薄気味悪い生物のミイラ。
 恰も西洋の「悪魔」の様な外観を備えた黒い体色の人型の生物・・・。

 私は目眩を覚え、新鮮な空気を求めてふらつく足取りでこの修道院跡から外に出た。
 私には何が真実であるか分からなくなっていた。
 眼下に広がるピレネー山脈に抱かれた雄大な景色は、私に荒涼とした印象しか与えず、そして何も答えてはくれなかった。

 一息入れた私は気を取り直し、更なる調査を行う為この奇妙奇天烈なミイラ群を自身のスタジオに持ち帰るべく、荷造りを始めたのだった。

 果たしてこれらの物体が語る真実とは、如何なるものであろうか・・・。

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真実はあなたの目で確認して頂きたい。

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仮にそれが何であったとしても。

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この文章はフィクションとして創作したものですが、もし仮に似たような事例が発覚した場合、当方は一切責任を負いかねます。



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